2015年12月17日木曜日

ヴォロネジ事件

1989年9月21日〜10月2日/ソビエト連邦(現ロシア)/ヴォロネジ州ヴォロネジ市
Voronezh city, Voronezh oblasts, Russia

概要

奇妙なマークの付いたUFOと、ロボットのような宇宙人
崩壊直前のソビエト連邦にUFOが何度も着陸。
UFOからは三つ目のロボットのような宇宙人が!
ヨーロッパのウンモ星人のマークによく似たマークを付けたUFOが登場。
日本の一般紙でも取り上げられた大事件。

詳細

ソビエト連邦末期、ゴルバチョフ政権の下、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)が進む中の出来事である。
9月21日以降、首都モスクワの南に位置するヴォロネジ市を中心に20回以上UFOが目撃されることとなる。

ゲンリフ・シラノフがまとめた目撃情報


以上は矢追さんの番組から書き起こしたので、文字が読めなかった箇所などがあり、不正確なことをあらかじめお断りします。
また、目撃者の名前などについても情報の錯綜が見られているようです。

ジャック・ヴァレの本には9月30日の事件も載っていた。場所は不明だが、UFOが学校の近くに着陸したという内容だ。
また、着陸事件は10月2日まで続いたという。

9月23日の着陸(矢追さんの番組から)

UFO着陸現場
奥が12階建てのマンション、左に二本立っているのが公園のポプラの木だ。
目撃した子供達
一番近くで見ていたアリョーシャ(10)
9月23日夜8時15分ごろ、12階建てのマンション付近で小学生達6人が遊んでいると、学校の屋根の上からバラ色の光の玉が飛んで来るのが見えた。

UFOは団地公園のポプラの木の上で30秒くらい浮いた後、着陸脚を出して着陸した。
見ていると、中から小さい人間のようなものが3人出てきた。1人は1.5m、2人は2mくらいのロボットのようだった。

宇宙人達はUFOの周りを歩いて何かしていたようだった。
歩き方はロボットのようで、地面から浮かんでいるようだった。

一人がレンガくらいの大きさの箱のような物を持っていて、箱を地面に置くと、空中に浮いてまぶしく輝いていたが、しばらくして箱はこつ然と消えてしまった。
やがて宇宙人達はUFOに乗り込んで南の空に飛び去って行った。

アリョーシャの描いた絵
アリョーシャが描いた絵
顔が緑色だったという
レーナの描いた絵

9月27日の着陸(矢追さんの番組から)

ジェーニャの描いた絵
9月27日夜7時ごろ、23日の事件と同じ場所に再びUFOが着陸した。
12階建てのマンションに住む小学生のジェーニャ・ブリノフ君は、近所の公園に歩いて行く途中、大きな赤い光から小さな光体が飛び出し、団地公園の上空に飛んでくるのを目撃した。
その光体は赤い光に包まれた直径10mくらいの大きな丸い物体で、50mほど離れたポプラの木の上に停まった。
UFOの下にはハッチのような物が見えた。
ジェーニャ君は怖かったが、興味の方が勝り、逃げることができなかった。
大きな方の宇宙人
ジェーニャが描いたものではない。
UFOは5mくらいまで降りてきてしばらく浮かんだ後、下から着陸脚が出てきた。
さらに5分くらい後にゆっくりと着陸した。
ハッチが開いて中から強い光が出てきたが何も出てこなかった。
UFOの周りには多くの窓があったが、光がついていなかった。

2分ほど後、ドアから小さな人間のような影が出てきた。そしてその後から大きな人間の形をしたものが出てきた。
大小3体(大1体、小2体)の宇宙人で、
  • 小さい方の宇宙人
    • 身長1mちょっとくらい
    • 銀色のジャンプスーツのような服
    • ブロンズ色の靴
    • 手が長い
    • 気味の悪い大きな頭
    • 目は横長で白く光っていた
    • 一人は赤い線がついた細長い金属状の機械を地面に置いて何かしていた
  • 大きい方の宇宙人
    • 身長2m
    • 首がなく膨らみのみ
    • 胸に丸い機械
    • 最初は立ったまま動かないが、小さい宇宙人がベルトの四角い部分に触ると、突然ロボットのように動き出した

9月27日の事件(ネットの情報より)

「多くの目撃があったので、目撃者が同じ事件について語ったかどうかはわからない」と引用元に書いてあった。
おそらくジェーニャ君の目撃と同じ事件についてだと思うが、矢追さんが目撃者本人にインタビューした内容と異なる点も見られるため、まとめずに併記することにする。

UFOから出てきた首のないロボットのような宇宙人の絵
Elena Penkova画
子供達が描いたUFOと宇宙人
主な目撃者は、レヴォベレジュニ(Левобережный/Levoberezhniy)公園で遊んでいた第33小学校の子供達と、停留所でバスを待っている数人の大人達だ。
子供達は9歳から11歳までの、男の子10人と女の子2人だった。

夕方6時30分頃、赤い光がまっすぐに近づいてくるのに子供達が気付いた。その光が垂直に降下してきた時、赤い卵形をした物体だとわかった。
そのUFOは着陸場所を探すかのように動き、一度視界から見えなくなったが、数分後に戻って来ると着陸し始めた。

UFOは地面から1.5mのあたりで側面のドアを開き、ずんぐりした宇宙人が出てきてゆっくり動いた。(筆者注:浮かんだままハッチを開いて出てきたような記述だ)
その宇宙人は光3つの目を持ち、頭がないか、もしくは半球型をした小さな頭があるだけだった。中心の目はあちこちを見まわしていた。鼻は小さな穴だった。胸には円盤型の物が付いていた。
しばらくして宇宙人はUFOの中に戻っていった。

10〜12mくらいはあったかというUFOから、バナナのような4つの着陸脚が伸びて着陸した。
中から2体か4体(筆者注:証言によって異なるらしい)の宇宙人達が出てきた。
ひとつはロボットのような小型のもの。残りは3〜4mの身長で、銀色の服と青銅色のブーツを履いていた。

1体の背の高いヒューマノイドが命令するかのような音を発し、胸の円盤から三角形の光線が草の上に発せられた。
これに驚いた一人の子供が泣き出すと、リーダー格の宇宙人が輝く目でこちらをじっと見つめ、その子は身動きできなくなった。
他の子供達も恐怖のあまり泣き叫ぶと、UFOと宇宙人は姿を消してしまった。

そしておよそ5分後にUFOが同じ場所に再び姿を現した。
同じ背の高いリーダー格の宇宙人はピストルのような50cmほどの管を身に付けていて、そこから出た光線によって、16歳の少年の姿を消してしまった。(筆者注:9歳から11歳までの子供という記述とは矛盾している)
宇宙人がUFOに戻って飛び去ると同時に、少年が再び姿を現した。

子供達によって描かれたUFOの絵には、ロシア語の「Ж」に似たマークが描かれていた。

UFOは20mの大きさの地面のへこみ、4つの広さ15〜30cmほどで4〜25cmほどの深さの穴を残した。
幅25m、深さ2.7mのもうひとつの穴がヒューマノイドがサンプリングしていた近くに見つかった。(筆者注:深さ2.7mの穴というのもおかしな記述だ。2.7cmの間違いかもしれない)
いくつかの情報によると、磁場の狂いと高いガンマ線(他の場所が10〜15マイクロレントゲン/時なのに対し、着陸地点では30〜37マイクロレントゲン/時だった)が検出されたという。

これらの証言の一部での宇宙人の姿は、小さく灰色がかった緑色の顔と、ぶかぶかのレインコートのような青いオーバーコートのような姿だったという。

9月28日の着陸(矢追さんの番組から)

ムルゼンコ君
この日は上記二つとは別の場所(詳しい場所がわからないが、目撃者が同じ小学校に通っているので近くであろう)に着陸した。
28日夜8時15分ごろ、第33小学校のデニス・ムルゼンコ君が外で遊んでいると、赤っぽい光の中に卵形の物が飛んできて、木の葉が落ちるように左右にひらひら飛びながらやって来た。
倉庫の屋根の上で一旦停まり、UFOから足が出てきて降下してきた。直径は5mくらい。
ムルゼンコ君が慌てて逃げ出すと、UFOは着陸した。
UFOは白い光を発し、金属的な音が聞こえた。
ムルゼンコが描いた絵
機体にはドアのようなものがあったが、開くことはなかった。そのドアにロシア語の「Ж(ジェー)」もしくは漢字の「王」に似たマークが描かれていた。

このマークは1967年にスペインで撮影された、ウンモ星人のUFOと言われるものに描かれていたのと奇しくも同じであった。ウンモ星人についての詳細は別項に記すが、それまでかなり信憑性が低いとされていた写真だったので、この奇妙な一致は不思議である。
西欧諸国であれば、ウンモUFOの写真も有名であるが、情報統制されていた当時のソ連でそれを知っているとは考えにくいというのが一般的な見方だ。

モスクワのUFO研究家のボリス・チュリノフは、事件の数年前に出版された自著でウンモ星人のことを取り上げていたため、その影響を指摘したが、ヴォロネジの研究家達は、目撃者達がウンモについて聞いたことは絶対にないと否定した。

シラノフによる調査

事件はヴォロネジ地球物理学研究所のスペクトル分析部長ゲンリフ・シラノフ(Genrikh Silanov)によって調査され、タス通信に伝えられた。
ただしシラノフは、「自分の話した内容はタス通信で報じられた内容の一部だけだ。タス通信の報道全てを信じないでほしい」とも述べている。
  • 着陸現場には直径15〜6cm、深さ4〜5cmの穴が6カ所開いていた。
  • この事からUFOの重さは11.5トン〜13トン程度と推測される。
  • 自然の2倍の放射性セシウムが検出された。
  • 着陸現場の中心点では磁力線が異常に低くなっているのが確認された。
シラノフらは宇宙人が歩いた跡をバイオロケーション(biolocation)で確かめたとも報道されている。(Wikipediaによると本人はその報道を否定している)
バイオロケーションとは、といういわゆるダウジング(地下の鉱脈や水脈などを独自の金属棒や振り子のようなもので探すオカルトや超能力に類する行為)のことで、ロシアの精神科学の専門用語である。
こうした非科学的な調査手法を取ったことは、事件の信憑性を損ねる結果になっているのではないだろうか。

シラノフの肩書きは、ジャック・ヴァレの本によると同研究所所長だという。

現場周辺地図

より大きな地図でUFO事件マップを表示
9月23日、27日の現場と思われる場所。後述のようにストリートビューで見られるようになり、矢追さんの番組で紹介された場所と完全に一致した。
矢追さんの地図は上が南になるようだ。

矢追さんの番組による地図
左にのびる道は林の中を抜けている未舗装の歩道のようだ。

矢追さんの番組の地図と比較してみる
矢追さんの番組から

ストリートビュー

いつの間にかストリートビューで見られるようになっていた。着陸現場はここで間違いないだろう。

報道

事件はソ連の新聞でも取り上げられ、10月8日にはタス通信、AP通信によって全世界に報道され、日本でも一般紙でも扱われる大きな騒ぎとなった。NHKのニュースでも少し取り上げられたように記憶している。単にUFOと宇宙人という不思議な存在が現れたというより、むしろこれまで徹底して秘密主義を保ってきたソ連という国が、ペレストロイカにともなうグラスノスチ政策によって、こんな情報まで公開するようになってきたという意味の驚きをもって報じられた感が強い。

事件を報じたソ連の新聞は、以下の新聞記事によればソ連共産党機関紙のプラウダ、国営テレビ、タス通信などが報じていたようだ。
筆者の記憶では矢追さんの番組でコムソモリスカヤ・プラウダ紙の名前が挙がったのを記憶している。しかしWikipediaによれば同紙は共産党機関紙のプラウダとは別の新聞だという。(ただし機関紙の方のプラウダも、2000年代初頭には超常現象や陰謀論を扱うようになったという話もあるようだ)

日本での報道

1989年10月11日 朝日新聞朝刊
まず10月10日頃になってから一般紙などで報じられ始めた。詳しくは「ヴォロネジ事件後の日本の新聞報道」にまとめた。
その後は記憶によれば各テレビ局のワイドショーや、矢追さんが関わったUFO番組でも取り上げられるようになった。日本テレビでは12月6日に深夜番組の11PM、大晦日12月31日に矢追さんとビートたけしによるスペシャル番組によって扱われている。

西側の反応

アメリカのUFO研究家の間では、この事件を「過去のデータと一致しないから作り話だ」とする意見も見られたという。
フランス政府による調査機関CNESは、わりと冷静に調査をした模様だ。

事件に先駆けた事件

ロシアでは同年4月からいくつかのUFO騒動があったという。
  • 4月24日午後11時前、チャレポベトスク上空を「普通の航空機の3倍ほどの大きさ」の物体が飛行した。
  • 6月6日、中央ロシアのボログダ地方で、カラオブスク郡コナンツェボ村付近の児童が、空にまぶしい光点を発見。それは次第に大きくなって牧草地に着陸すると、中から黒っぽい服を着た頭のない、手が膝に届くほど長い人間そっくりの生き物が出てきた。その後も3つの球体が同じ牧草地に着陸し、生き物らしいものが乗っているのが見えた。
  • 6月11日午後9時20分頃、ボログダ上空で火を吹く球状の物体を17分間にわたって目撃した。
  • 8月、カスピ海マンギシュラク半島のシェフチェンコで、普通の旅客機の数倍も大きい物体が飛行するのが目撃された。
  • モスクワ近郊で草の生えた地面に不思議な焼け跡が見つかった。
宇宙人が出てきた6月の事件はともかく、他の目撃は飛行機やミサイル、ロケットなどの誤認の可能性も強いように思われる。最後の焼け跡はUFOとの関連も謎だ。

考察

「宇宙人と言えばグレイ」というようにステレオタイプ化されてしまった感があった昨今だが、古いSFのようなロボットタイプが登場したのも興味深い。
写真が撮られていないのが残念でならないが、当時のソ連の経済事情その他から考えるとやむを得ないんだろうか?

懐疑的な批判として、事件が本当に起こったのであればゴルバチョフ書記長が自分で発表していたはずだ、というものもある。
たしかに改革が進んできていたとはいえ、当時のソ連の防空網を突破した謎の飛行物体が何度も繰り返して着陸したというのは、防衛的に大きな問題であるはずだ。
それの調査が、シラノフのような末端の人間に任されるのはおかしい気がする。

ソ連共産党の関心度は?

もっとも、この件を当時の共産党指導部がどれだけ真面目に捉えていたかはわからない。いくら重要そうに思える内容でも、UFO、宇宙人という単語が出てきただけで政府がまともに取り合わないことは十分に考えられるからだ。
情報統制を敷いていたソ連であるから、過去に起こっていたであろう国内のUFO事件についても一応管理していたであろうから、この事件を聞いても「またか…」と思って真面目に取り合わなかったのかもしれない。
詳しい事情は当時に詳しい資料にでも当たらないと、はっきりとしたことは言えない。

現在の地図を見ると、いくつか空港がある。上空で目撃されたUFOのいくつかは、単なる飛行機だったのかもしれない。

宇宙人の目的は何?

それにしても、宇宙人達は何をしにやって来たのだろうか。行動が不可解だ。

16歳の少年が一時的に宇宙人の光線で消されてしまったというが、彼へのインタビューはないのだろうか? 本当に目の前で消されて、またすぐ戻ってきたのなら前代未聞の貴重な情報だと思うのだが。
ロシアの異常現象研究協会会長のウラジミール・アザザ教授の話によれば、ボログダのある村で宇宙人と一緒に歩いた後に大勢の目の前で姿を消した婦人は、突然帰ってきたが、自分に何が起こったか覚えておらず、泣き叫んで気が狂ったようだったという。

シラノフ氏が注意しているように、マスコミが話を大きくしている可能性もあるので、注意ししなければなるまい。
夜の7時〜8時頃、子供が外で遊んでいるというのには、日本人としてちょっと違和感を覚える。
いったい宇宙人達は何をしていたのか、行動が謎だ。
子供が中心とはいえ、数多くの目撃者と着陸痕などが残っている点は、日本の甲府事件に匹敵する異常な事件と言えるのではないだろうか。

参考資料

  • 日本テレビ・11PM(1989年12月6日放送)
  • 日本テレビ・緊急UFOソ連現地取材特報!! ビートたけしvs矢追純一UFO対談(1989年12月31日放送)
  • M.Bugliaro Goggia's encyclopedia ufopsi.com
  • Extraterrestrial Contact
  • ジャック・ヴァレ著(竹内彗訳)/人はなぜエイリアン神話を求めるのか/徳間書店

2 件のコメント:

  1. 初めて貴ブログを拝見、興味深く拝読いたしました。
    UFOの研究者でも何でもない野次馬同然の読者ですが、ソ連、ロシアには仕事上縁も深く、留学、駐在などで8年ばかりモスクワなどに暮した事もあります。
    一般にロシアではこの手の超常現象話は割とポピュラーな話題で、それについて書かれた雑誌などもまま目にします。
    本件の真偽について何も言えませんが、貴兄の疑問には少しご参考になるかと思い、書き込みいたします。
    1)コムソモーリスカヤ・プラウダ紙
    これはソ連共産党傘下の青年団体、レーニン主義青年同盟(略称コムソモール)の機関紙で、ペレストロイカ時代には改革派の拠点に一つにもなりました。但し、当時記事の裏を常にとて報道していたかというと心許ない部分もあり、こうした読者の興味を引くようなカジュアルな話題も多く、全体としてはややソフトな路線であったと思います。現在も存続しており(名称はそのままですが、全く普通の新聞です)、政治経済記事も載せますが、編集方針としては更にソフトな路線で、最もよく読まれている新聞の一つです。元の生地を拝見していませんが、当局の統制の緩んだ時期ゆえ、編集部の判断で気楽な読み物として記事掲載されたのではないかという印象です。
    2)プラウダ紙
    言うまでもなくソ連共産党の機関紙でした。この時期にはやや保守色の強い論陣であったと思います。上述のコムソモールスカヤ・プラウダよりは固い紙面づくりだったと思います。(ソ連崩壊後は独立した新聞となり、経営危機などを経て編集方針もハチャメチャになりました)。
    3)ソ連共産党、ソ連政府の関心
    これについては元より資料もないので何とも言えませんが、恐らくまともには取り合っていなかったと思います。(国防省や内務省、或いはKGBなどの治安機関内に個人的に関心を持つ人がいたかもしれませんが…。仮にその筋が調査していたとしても、社会不安を与えかねないので表だってそうしたデータ―を公表しなかったと思います。何しろソ連末期まで、殺人事件の類の三面記事も新聞に載せなかったのですから。)
    4)なぜこの時間に子供が外で遊んでいたか?
    これは簡単で、9月のロシアは日照時間がまだ日本より長く、ボロネジでも午後7時ぐらいなら日没前後ぐらいで、真っ暗であったとは思えません。まして治安の良いソ連時代の地方都市の事ゆえ、天気さえよければ子供たちが公園などで日没後もしばらくの間遊ぶというのは違和感ありません。
    5)宇宙人の姿
    ソ連社会に西側のSF映画などが輸入、上映されるという事は当時極めてまれで(文化政策上もさることながら、外貨をそんな事に無駄使いする気に当局はならなかったでしょう)、グレイ型の宇宙人が当時の子供たちに浸透していたとはとても思えません。もしこの事件が子供たちの集団幻覚の産物だとしたら、古典的なタイプの宇宙人が現れたというのは納得がいきます。

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    1. 十番通住人さん

      はじめましていらっしゃい。
      ソ連~ロシアの文化的背景について、とても参考になりました。どうもありがとうございます。
      超常現象話がポピュラーな話題なのは現在のロシアがということでしょうか?
      だとすれば、北朝鮮や中国でポルノが禁止されるように、旧ソ連時代は政府機関は当然として、一般誌においても多かれ少なかれ統制されてたんでしょうね?
      ペレストロイカ以降、西側の文化がドッと入ってきたわけですが、そんな中でUFOや宇宙人の姿の変化が起こっているなら興味深いですね。
      最近は時々伝わってくるロシアの目撃談も、空に光が飛んでいるくらいのものが多かったと思います。宇宙人事件そのものがあまり伝わってきません。
      もっとも、パッとしないのはロシアだけでなく世界的にですが。あからさまなインチキか、あからさまな見間違えがほとんどです。寂しい時代になりました(苦笑)

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